ロンドンの道端遊びと遊び歌 2006年度

 英国の作家ノーマン・ダグラスが『ロンドンの道端遊び』(1916年刊)の原稿を出版社に持ち込んだ時,目を通した編集者は,「たいへん見事な文学上のお仕事です」と絶賛しながら原稿を返却して「でも読者はいないでしょう」(“I can’t see a public for it”)と宣告したという。たしかにダグラスが,ロンドンの下町をくまなく歩いて,子供たちを観察し,仲間に入り,手なづけて採集した遊びや遊びの歌は,人びとが自分の掌のように知る日常の一部を収集したにすぎないもので,ことさらに興味を抱く人は少なかったかも知れない。
 しかし,それが今となって貴重なことはいうまでもない。100年近く前の遊びが,今どれだけ伝承されているかはわからないが,現在の英国で子供たちが道端で歌を歌ったり奇声をあげて戯れているようすを見ることはまずない。交通事情は日本も英国も同じことで,道はもはや遊んだり楽しんだりするところではないからだ。もちろん車の危険ばかりがその理由ではないだろう。
 ダグラスが採集した歌のうちいくつか,たとえば “Sally go round the moon” などはマザー・グースとしても知られている。マザー・グースは言ってみれば,これまでいずれかのマザー・グース・コレクションの中に収録されたことがあるもの,いわば登録・公認済みの伝承童謡である。これはこれからも英語圏の言語文化のひとつとして存続していくだろう。その外側に未登録の歌がある。マザー・グースについて言われるナンセンスな語句のおもしろさ,意表をつくイメージの交錯は,ここでもまったく同じ。詩想というものを少なくともある時代まで,子供たちは遊び歌を通しても身につけたはずである。(ジョン・レノンもそうか?)遊びがなくなれば,歌も失われていくことになるのだろうか。
 ダグラスが集めた100篇以上ものそのような遊び歌を,その中にある躍動や興奮,一言で言えば楽しさを感じとりながら,日本語のリズムに置き換えていくことはできないか。ゼミの学生との共同作業としてそのことを考えている。と同時に,私たちの文化における遊びと歌についても語りあいたい。

川島昭夫教授

人間・環境学研究科
専門分野:英国近代社会文化史