考古学入門 2006年度

白川道の脇に現存する鎌倉石仏の見学風景

■はじめに
 「京都大学の地下に沢山の遺跡が眠っていることを知っていますか?」そんな質問から授業は始まる。私達が毎日通い,勉強し,研究している吉田・北白川地区キャンパスの地下には,旧石器時代から始まる一万年以上の歴史が埋まっている。

■考古学とは
 考古学は英語でArchaeologyである。しかし,泥まみれの靴に薄汚れた服で,いつもどこかを歩き回っている考古学者に,「貴方の学問はアーケオロジーではなく,「歩けオロジー」ですな」と皮肉屋の研究者が言ったという。これは名言と,いつしか考古学を説明する始めに,まずこれを紹介することになった。
 したがって,京都大学での「考古学入門」は必然的に,大学およびその周辺の遺跡を歩き回ることから始まる。遺跡を訪ねて歩き回ることは,遺跡の立地する環境や景観を理解するのに重要であるが,昔の人々のネットワークを知ることにも役立つ。

■京大構内と周辺の遺跡
 今回は,比叡山西南麓に広がる扇状地を歩き,その上に形成された縄文時代の遺跡を中心に探訪している。京都大学遺構内では,吉田南構内,本部構内,北部構内に縄文時代の集落があった。
 本部構内を北東に出れば,中世から継承される白川道が,鎌倉時代の石仏を脇に従えて,山中越えの道へと続いている。この白川道の北側,人文科学研究所当たりには北白川小倉町遺跡,その更に北側には北白川上終町遺跡と縄文遺跡が連なる。皆,白川の形成した扇状地にのる。せいぜい1時間もあれば行き来できる距離である。

■隣の集落
 上終町を北に過ぎると,白川通りは一時下る。そして,また上り始めると,一乗寺川・音羽川の扇状地になる。白川通りを歩くと簡単にこの高低差が実感できる。そして,扇状地の間には縄文遺跡はない。一乗寺には向畑遺跡,修学院には修学院小学校,修学院離宮遺跡の縄文時代の遺跡がある。白川の縄文集落からは墓地が発見されているのに,この地区の遺跡にはお墓がない。分村なのだろう。
 最後に鴨川を越えて上賀茂神社まで歩く。5~6キロは歩かなくてはならない。この地域には上賀茂遺跡,上賀茂本山遺跡,植物園北遺跡と縄文遺跡が連なり,住居や墓も出土しており,別の縄文集団が集落を構えていたようである。

■縄文人を実感
 縄文人と同じように,当時あった集落を歩き,同じムラの中と隣ムラとの間を歩いてみて,違いを発見できるだろうか? 自然景観はまったく残っていないが,歩くことにより,少しでも縄文時代のネットワークが実感できれば,「考古学が始まる」と期待している。

泉拓良教授

文学研究科
歴史文化学専攻
専門分野:縄文考古学、レバノン考古学