野生の教育人間学 2006年度

 ポターの『ピーターラビットのおはなし』やブルーナの『うさこちゃん』の絵本をみればわかるように,絵本にはウサギ,クマ,ネズミといった多くの動物たちが登場します。不思議なことには,人間が主人公の絵本よりも動物が主人公の絵本の方が圧倒的に多いのです。なぜこれほど動物が絵本に描かれているのでしょうか。しかも,子どもたちがこのような動物絵本を通して成長することを考えるとき,子どもは動物を必要としているのではないかと考えたくなります。子どもには,大人のように食料としたり材料としたり使役に使用するようなこととは別に,動物を必要とする深い理由があるのではないでしょうか。この理由とはいったい何か,このゼミではこの問いを手がかりにして,「人間とは何者か」を考えようというものです。

 この「人間とは何者か」の問いは,神話に明らかなように,太古より動物との比較によって論議されてきました。動物は人間にとって自分の存在の理由を明らかにする手がかりだったのです。このことが示すように,子どももまた動物と出会うことによって,人間と動物との境界線を認識するようになります(動物を超えて人間になること)。しかし,動物はそれ以上の存在です。この人間と動物との境界性は両義的であり,動物性は一方で忌避すべきものであると同時に魅力に満ちたものでもあります。動物性がもたらす戦慄や驚異は,日常的な世界を超えた驚嘆を生みだします。子どもは野生の存在と出会うことによって,動物との境界線を超えでて,あたかも動物のように世界との連続的な瞬間を生きることができます。そのとき世界のうちに溶けることによって,生命に十全に触れることができるのです(人間を超えて〈動物〉となること)。

 絵本に動物がでてくるのはなぜか?
 なぜ子どもは動物を飼いたがるのか?

 これらのことは当たり前すぎて学問的な問いの対象にならないと思うかも知れませんが,そのような日常の事象のなかに,「人間とは何者か」という最大の謎(ミステリー)を解くための糸口が隠されているのです。このゼミでは,この人間学的考察を,具体的に絵本を検討しながらすすめてきました。最終回には参加者がお気に入りの絵本を取りあげて,それぞれが考察を加えることになっています。ところで,「人間とは何者か」とは,つまりは「私は何者か」という問いと重なるものです。このゼミが終わるときには,参加者の絵本や動物にたいする見方が変わるだけでなく,学問研究が知識を増やすことなどではなく(それも大切なのですが),より高く「動物を超えて人間になること」と,より遠く「人間を超えて〈動物〉となること」という人間の二重の課題を生きることと無関係でないことを学んでもらえればと思います。

矢野智司教授

教育学研究科
専門分野:教育人間学