食の未来戦略を考える 2009年度

「本物のダシを味わうことは教養である」2008年12月カンフォーラにて料亭のダシ体験の様子

 ポケットゼミ「食の未来戦略を考える」は、農学研究科教授の伏木亨と農学研究科寄附講座「『味の素』食の未来戦略講座」の野中雅彦准教授、山崎英恵助教、伊藤弘顕助教の4人が受講学生とともに、日本の食の未来に向けて食の問題の現状と未来を科学的に検証し議論しようと始めたものです。昨年度に開講しましたが、予想以上の好評に味をしめ、本年も昨年と同様のスタイルで開講します。
 現代日本の食は多くの面で深刻な問題をかかえています。食の欧米化、食文化の伝統の喪失感、孤食の増加による子供の食嗜好の変化、食の偽装表示問題、遺伝子を操作した作物の安全性、風評被害、食料自給率の低迷、数え上げればきりがありません。しかも、いずれの問題も相互に関連する根深い背景があり、解決は容易ではありません。
 しかし、そんなことで暗くなってはいけない、とゼミの教員たちは考えました。食べることは本来は、おいしくて、楽しくて、生きる力をくれて、さまざまな人との出会いを演出してくれて、そして、生きることの喜びをも与えてくれるもののはずです。それを取り戻すためにはどうすればいいか。どこが、難しいのか。その問題はどこから来ているのか。解決策はないのか。深刻にばかりならずに、いろいろな視点から、冷静に解決の道を考えようとするものです。
 どの時間も、最初に教員が20分間程度の話題提供をします。できる限り客観的な事実に的を絞って紹介することに努めています。後は、学生も教員も区別無く自由なディスカッションを楽しみたいと思います。関連の情報があれば、議論の中で随時紹介することもあります。
 担当の伏木は人間栄養学、食嗜好、味覚、エネルギー代謝の研究者。野中は食品企業の開発担当を永年勤めた食品のプロです。山崎は米国のエール大学で糖尿病と運動に関わる生命科学の研究を行ってきました。伊藤は農作物の先端育種技術を専門とし、農業や農学に詳しい若手教員です。
 それぞれは専門以外にも幅広い経験を持ち、栄養学・動物行動科学・食行動に関わる脳科学・農業技術・マーケッティング・食品製造工場・食品科学・育種学・生理学・流通・食の法規制・コンビニやマーケットの裏事情・農業の現状・農家の生活などに通じる豊かな経験を持っています。年齢構成も50代、40代、30代、20代とバランスも申し分ありません。性格も悪くはありません。
 昨年は、7名の新入生をポケットゼミに迎え「食料自給率とは何か」から始めて「食のおいしさとは」「ダイエット指向とその未来」、「サプリメントの時代」、「災害と食」「介護食の現状と未来」「食の伝統の現状」「コンビニ」など、さまざまな議論を行いました。今年もフレッシュな学生と新たな意見交換ができることを期待しています。前回のトピックスの一つとして、食の伝統に関する時間には、西陣の老舗料亭「萬重」の若主人田村圭吾さんにおいでいただき、実際に昆布と鰹から料亭のダシをひいてもらいました。ご主人のサービスで京都のだし巻きタマゴも巻いていただきました。その間に京料理の歴史はもちろん、修行中のこと、料理の世界の裏表、京料理の現状、ダシのおいしさと料理の勘どころ、野菜の見分けと仕入れ、などなど、他では聞けないリアルなお話をいっぱい聞かせてもらいました。
 修行を積んだプロの手で作られた吸い物とだし巻きのあまりの旨さに一同は驚きました。料金の高い京料理のお店に人々が通う理由の一つを体験したわけです。おいしいダシを実際に味わったことは、明らかに「教養」を深めたと教員も学生も実感しました。今年度もポケットゼミの授業の1つとして行う予定です。
 余談ながら、この経験は、平成20年12月にカンフォーラで2日間にわたって行われた「京料理のダシの味わいを京大生に味わってもらうイベント」に発展しました。教員グループは同じ驚きをもっと多くの京大生に体験してもらいたかったのです。京大生200人の募集枠はたちまち埋まりました。もちろん、ポケットゼミの時と同様に大好評でした。7人でも200人でも人間の舌の応答は同じです。たった1杯のプロの吸い物が、食に対する意識を変えてくれたとアンケートではかなりの数の学生が述懐しています。これもポケットゼミの結果と同様でした。
 このポケットゼミは、巷に溢れている食に関わる問題の数々を、1つ1つ、じっくりと腰を据えて見直してみようとするものです。さまざまな角度から冷静に柔軟に議論してみたい。考えるだけではなくて、いわゆるコンビニの味も実際に体験したい。食料自給率のシミュレーションもやってみたい。そこから何を発見するかは、学生諸君の自由です。わずか90分程度の議論ではその一部しか捕まえられないこともありますが、そこからの展開は各自にお任せしています。教員も毎回、発見の連続でした。学び考えることを楽しむ助けになれば、このゼミは成功だと教員は考えています。

伏木 亨(ふしき とおる)

農学研究科教授
昭和28年生まれ 滋賀県出身 
専門は栄養化学 
おいしさとはなにかに興味を持ち、ビール、清酒、ワインはもとより、吸い物のだしや油脂のおいしさなど を科学的に解明しようと考えています。