中国マニ教絵画とシルクロードのマニ教文献 2012年度

 このゼミでは,ここ数年の間に日本で発見されたマニ教の絵画を扱います.
 マニ教は3世紀にメソポタミアに起こった宗教ですが,短期間の内に広い地域に伝播しました.『告白』で有名な,キリスト教の教父,聖アウグスティヌスも20代の10年ほどマニ教の信者でした.後にカソリックに改宗した彼の著作にはマニ教を反駁するものがいくつかあります.マニの布教が成功したのには,マニ独特の宇宙論と,布教用に採用した絵解きの手法があったようです.マニは布教にはビジュアルな要素が重要性であることをよく認識していて,彼がみずから書いた聖書のなかには絵図も含まれていました.実際イスラム時代になってマニの教義が忘れられたときも,マニは偉大な画家として記憶されていたほどです.
 このマニ教はシルクロードを経由して中国にも伝わりました.敦煌からは漢文に翻訳されたマニ教文献も見つかっています.しかし9世紀の弾圧の結果,華北には信者がいなくなったようです.ただそこから福建に逃れた僧侶がおり,マニ教は南宋時代に江南で多くの信者を得ました.そして弾圧を受けながらも清朝時代まで信者はいたようです.マルコポーロは13世紀の終わりに福州で信者に会いましたが,キリスト教の一種だと思っていました.
 20世紀になって,中央アジアとエジプトからマニ教徒が書いた文献が発見され研究が進みました.特に中央アジアで発見された文献にはミニアチュールも見つかり,マニ教徒が絵画を重要視していたことが確認されました.しかしそれらはどれもごく小さい断片ばかりで,マニが描いた絵の写しが残っているのかどうかも分かりません.一方,江南のマニ教徒のことは歴史文献に言及があります.彼らの儀式や読んでいた聖典のタイトルの他に,使っていた絹絵のリストも残されています.江南のマニ教徒にも絵画を使う伝統は確かに残っていたことが分かります.しかし彼らが使っていた聖典も絵画もすべて失われてしまったように思われていました.
 ところが2007年になって,その江南のマニ教徒が使っていた絵解き用の絹絵が日本で発見されました.正確には発見ではなくて,従来は仏教画であると思われていたものが,実際にはマニ教画であることが確認されたのです.こんなものは世界中どこにも存在していませんから,日本に残されていたのは本当にラッキーでした.
 ところでこれらは絵解き用の絵画ですから,それらの絵を使って解説されたマニ教の教義や宇宙観があったはずです.しかし彼らのテキストが失われているので,絵画に描かれていることを知ることは容易ではありません.このゼミではこれらの絵画のうちで,私が「宇宙図」と呼ぶ,マニが想像した宇宙観を描いた絵の内容について調べます.マニの宇宙論はイラン語やアラビア語,ギリシア語,ラテン語,コプト語,シリア語などの言語で書かれた文献に部分的に残されています.幸いそれらには翻訳がありますから,まずは翻訳を頼りに絵に描かれた部分を読み解いで行こうと思います.
 マニ教は景教などとともに,優れてシルクロード的な宗教です.シルクロードの歴史や,そこで出土する文献に興味を持つ学生さんに参加していただきたいと思っています.

吉田 豊

文学研究科教授