マキアヴェリ『君主論』入門 2014年度

フィレンツェ共和国政庁 《パラッツォ・ヴェッキオ》 出典:Wikimedia

 「目的のためにはいかなる手段も正当化される」「安全のためには愛されるよりも恐れられる方が望ましい」「信義に篤いと思われることは重要だが、本当に信義に篤いことはむしろ有害である」等々、欺瞞や権謀術数を奨め、冷酷非道を良しとする“マキアヴェリズム”の源とされる著作『君主論』。16世紀初頭に活躍したフィレンツェの官僚政治家ニッコロ・マキアヴェリは、悪魔のように扱われる一方で、倫理や宗教の桎梏から政治のメカニズムの探求を解き放った近代政治学の祖とも言われ、またイタリアの国家統一を希求したことからロマン主義時代には愛国者として持ち上げられたりもした。
古来とかく毀誉褒貶の激しい人物であり、また著作であるが、関心を抱く人が少なくないことは、現代の日本においても、企業の経営戦略や実社会における部下の扱い方などに『君主論』の考え方を応用するよう勧める、あるいは勧めるかのように見えるビジネス・マン向けの書籍が数多く出版されていることからも明らかである。

 さて、『君主論』は本当にそうした現代社会を生き抜く上で役に立つ書物なのであろうか?
 本ゼミにおいては、人気の高い(?)この作品を“文献文化学”的に、つまり本格的に(とは言っても原語ではなく翻訳で)読むことを通じて、時代や文化圏を異にする人間の産み出した作品に対するアプローチのしかたを学ぶと同時に、人文学研究の面白さの一端に触れてもらう。
 幅も深みもある人文学の広がりの中には、修行にも似たある種の厳しさが求められる研究分野もあれば、これまで知らなかった世界、見たことのなかった、あるいは想像さえしなかった光景が次々と眼前に展開していく楽しさを味わうことのできる分野もある。
 本ゼミの担当者はどちらかと言えば、いや、正直に白状してしまうと、もっぱら楽しい研究が好きな人間である。もちろん、楽しめさえすれば何でもいいと思っているわけではないが、夢中になってやった事を人は決して忘れないし、何事であれ人間の精神にとって本当に血肉となるのもまたそうした経験を通してである。
 一度きりの人生、事情の許す限りとにかく楽しく生きるよう心掛けてもらいたい。そのためには何かに夢中になることである。マキアヴェリと彼の生きたルネサンス期のイタリア半島は、間違いなくそうした“夢中になれる”世界のひとつである。

なお、担当教員の所属する専修の雰囲気を垣間見ることができるサイトはこちら。⇒ http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/italianista/Icon new window

天野 惠

国際高等教育院/教授
1952年 岐阜市
専門分野:16世紀イタリアの詩と言語
趣味:もともとはイタリア語が趣味だったのだが…