「日本人論」を読む 2014年度

【授業内容】
 この授業では、参加者にいろいろな「日本人論」を取り上げてもらい、それについてみんなで議論してゆきます。
 日本人は「日本人論」を好むと言われることがあります。はたして、これがほんとうかどうか必ずしも検証されているわけではありませんが、たしかにかつてはルース・ベネディクトの『菊と刀』(日本語訳刊行は1948年)やイザヤ・ペンダサンの『日本人とユダヤ人』(1970年)などのミリオンセラーが生まれています。最近はそれほど大きな反響を呼んだ本は出ていませんが、それでも「日本人は捨てたもんじゃない」「外国人は日本人のことをこんなに高く評価している」といった、日本人肯定論を説く書物がそれなりの読者を得ているようです。
 わたしは、17世紀にアジアにやってきたイエズス会士やオランダ東インド会社員などが残した記録を読んできました(東洋史で漢文を勉強してきた人間がなぜ苦手な横文字の史料に取り組む羽目になったのかについては、以前ラジオでしゃべったことがありますので物好きな人は試聴してみてください http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/news/alpha-academic-spectrum/Icon new window)。
 彼ら西洋人がアジアの人々に対して下した評価は大なり小なり今日の西洋におけるアジア観に影響を及ぼし、アジアの人たち自身もそれに拘束されているところなしとしません。しかし、これらの評価がいかなる条件のもとに生み出されているかということにあまり注意が払われていないようです。同様に、今日の日本人論についても、その著者がいかなる時代的・空間的な制約の中で発言しているかに注意することなく、議論そのものに飛びつく傾向が見られます。
 もっとも、若いみなさんがそもそも「日本人論」というジャンルを意識し、それに関する書物を手に取ったことがあるかどうかはわかりません。「日本人と言ったってひとくくりにできない」「そんなものを論じること自体無意味である」「関心がない」という人もいるでしょう。しかし、「日本人論」が産生され続けること自体、一つの興味深い文化現象ではないでしょうか。ですから、各人がその関心に応じて「日本人論」をめぐる問題から何かを引き出してくれればと考えています。
 まず導入として、1~2回わたしのほうから、外国人による日本人論をいくつか紹介します。その間にみなさんはそれぞれ「日本人論」に関する著作を選んで、事前に何をとりあげるか予告し、当日はその作品に関する紹介とコメントをしてもらい、それをもとにみなさんで討論します。そして、これらの紹介と討論を材料にして、最後にレポートを書いてもらいます。

中砂 明徳(あきのり)

文学研究科/准教授
1961年生まれ 大阪府出身
専門分野:東洋史
趣  味:競馬観戦