「教育の詩学」入門 2005年度

 旧約聖書の「格言の書(箴言)」のなかに次のような言葉がある。
 「私には,わからない3つのことがある。私 の知らない4つのことがある。
 天をかけるわしの道,
 岩をはうへびの道,
 海を走る舟の道,
 乙女に向かう男の道。」
 鷲には鷲にしかわからない道,蛇には蛇にしかわからない道がある。舟にはその舟を操る船頭にしかわからない海の道がある。そして,恋する男がたどるのは,乙女と結ばれた運命の糸を信ずることだけが頼りの道。
 昔から,木を扱う者はみな木こりも木彫の職人も,木の性を知り,木の声を聴け,といわれてきた。また,自然を相手に仕事する者はみな農夫も漁師も空や海や山の表情を読み,風の匂いを嗅ぐことができなければならなかったという。見えないところにものを見たり,聞こえないはずのところに音を聴く ーこんなことがはたして可能なのだろうか?それは普通の人間ではもはや退化してしまった動物的本能とでもいうべき能力か,それとも超人的な特殊な才能なのか?近代科学の落とし子ならば,そんなのは実証不能,検証不可能な「人間の単なる錯覚の産物さ!」と笑って言い捨ててしまうかもしれない。いや,それで結構!近代科学の実証主義,客観主義,論理主義では割り切れない,そんな世界を相手にするのが「詩学」なるものの使命なのだから。
 人は見えないところにものを見いだし,聞こえないところに音を聴く力で己の生を支えてきた。逆境にあって,それを人生の終わり,不幸として苦しみ続けるか,いや,そこにこそ幸福へと続く道程の始まりを感じるか ー逆境を苦しむのも愉しむのも人の知恵ひとつで決まる。見えない未来に何を託し,何を見,何を聴こうとするか ー人は未来をデザインすることで文化を生み出してきたともいえる。人はものを生み出すことで生きてきたのではなく,ものを生み出す力によって生きてきたのかもしれない。
 人に宿るそんな力の謎を,言葉というもののもつ不思議な力,その魔力を通して探るのが,ここでの「教育詩学」のポケットゼミである。現在,法学部,文学部,教育学部,医学部から合せて9名がこのゼミに参加している。
 受験街道まっしぐらで大学までたどり着くまでに,型にはまって硬直化しがちになった頭や感性をもみほぐし,言葉への新鮮な感覚を取り戻すために,まずは,感覚のリフレッシュが「詩学入門」の第一段階。普段から気になっている流行語,陳腐な表現を集めて分析したり,同じ本を1日で読み上げたり,そのなかの10行を2日かけて読み返したり ー言葉への繊細な感覚と文章へと向かう読み手のリズムや呼吸の調整法をトレーニング中である。そして,トータルな感触,心地の訓練には,畳敷きの研究室での正座,一本歯の下駄を履いての歩行訓練。「不安定のなかの安定を探る」ことを通して,獏としてはいるけれど不安定の中にあるからこそ掴める安定感を体験し,「心,意」を「身」に帰す修行の真っ最中である。

鈴木晶子教授

教育科学専攻 教育学講座
専門分野:教育哲学・思想史