東洋史入門 2011年度

 文学部の教員で東洋史学研究室の中砂と申します。京都大学の東洋史学研究室は、かつては非常に有名でしたが、今その存在を高校の先生等から聞いたことがある人はどのくらいいるのでしょうか?

 文学部には私の研究室の他に、西南アジア史研究室というのがありまして、この二つの教室でアジア全域をカバーすることになっていますが、実際には私の研究室は伝統的に中国史中心、漢文史料を扱うことを得意としてきました。
 私も学生・院生の頃は漢文史料に取り組んでいましたが、そのうち柄にもなく世界史のことが気になり出し、大の苦手である横文字に手を出す羽目になり、今でもとても苦労しています。ただし、世界史といっても古代から現代に至るまで総ざらえするというのではなく、17世紀という時代に惹かれています。なぜかと聞かれると少し困るのですが、ヨーロッパでは「大航海時代」、イスラム世界ではオスマン、サファビー、ムガルの三大帝国の伸張、極東では満州族や「倭人」の中華世界への殴りこみといった華やかな16世紀よりも、世界的に見て混迷と沈滞の空気が漂う17世紀が「不景気な」私の気分に合うのです。しかし、この時期が近代世界を準備した重要な時期であることもまた事実です。

 この授業では、アジア、アメリカにキリスト教布教のために旅立ったイエズス会士たちが残した記録を通して、17世紀の世界史を主にアジア(とくに中国)を中心として、皆さんと一緒に眺めてみたいと思っています。

 私がなぜイエズス会士に関心を持つかと言えば、彼らが私とまるで正反対の人たちだからかも知れません。17世紀の頃にはまだ異文化を体験できたのは世界の中でごく限られた人たち、具体的には西洋の宣教師と商人でした。そのバイタリティ、とくに現地で骨を埋める覚悟で出掛けていく宣教師の心性は、この国際化の世の中にあってなお「鎖国的」な私の理解を超えるものです。しかし、だからこそ彼らに惹かれるのですし、当たり前に国際交流できる人たちよりかえって彼らの真価を理解できるのではないかと思っています。

 という負け惜しみはともかくとして、異文化交流の先駆者、人類学者のはしり、おまけに文・理両方に強い彼ら(私はまるっきり文系人間ですが)の書き残したものから、皆さんがそれぞれにメッセージを受け取ってもらえばと思っています。また、これをきっかけに若い人にこういうテーマに関心を持ってもらい、研究の道に進む人が出てくれたらいいなとちょっぴり期待しています(何せ、私のように頭が固くなってからこういう仕事を始めるのでは遅すぎるものですから)。

中砂 明徳(なかすな あきのり)

文学研究科、准教授
1961年生まれ 49歳
出身地:大阪
専門:17世紀史
趣味:競馬