メタ生物学への招待-生命・こころ・環境の統合的理解に向けて- 2011年度

2007年「生命とは何か?」<br>
湯川秀樹 生誕100年
2008年「創造性とは何か?」
2009年「進化とは何か?」<br>
チャールズ・ダーウイン生誕200年
2010年「統合科学への招待」

はじめに
 自分で考える力を伸ばしたい、教科書の内容には飽き飽きした、やる気のある雰囲気に浸りたい、そんな欲求に答えるべく、本年も文系・理系を問わずに、テーマを「メタ生物学への招待」として開講します。
 重要な点は、知識がいかにすれば構成できるかを自得することにあります。「学習すべき内容」ばかりに気を取られていては、知識の洪水に埋没するばかりです。そうではなく、「学習方法」に視点を移すことによって、より効率的に学習内容を修得できるとともに、未知の領域にも果敢に挑戦できる可能性が開かれるのです。したがって、新たな知識を提供するということだけに焦点を当てることはしません。そうではなく、最高学府での学習意欲が掻き立てられるような構成を工夫します。
 2007年より、毎年テーマを変えながら提供してきたポケットゼミの受講学生は、文系・理系のほとんどの学部におよび、また男性も女性、さらには留学生も含まれ、実に多様な顔ぶれで推移してきました。今回もまた、新たな出会いを期待しています。

メタ生物学とは何か?
 みなさんは、“ランナーズハイ”という言葉をご存知でしょうか?「運動すると気分が良い」という意味です。そのメカニズムとして、運動することによって脳内のセロトニン分泌量がふえることが分かっています。セロトニンは、他のニューロンをうまく調整するホルモンです。そのために、「気分が良い」と感じられるのです。
 サルの集団には、セロトニンの分泌量が少ない個体が何頭かいます。その個体は、外敵からの危険や餌場のありかといった好機に対する感受性が高いのです。そのため、サルの集団が全体として存続するのに有利に働いていると考えられています。それぞれの個体が異なっているという“個別性”こそが、集団の利益なのです。
 私たち人類にとっても同様です。例えば、ある人には汚染環境の影響が認められなくても、別の人にはその影響が現れるという事態が起こりえます。つまり、現象を全体として眺めてみない限り、その現象を捉えられないばかりか、有効な対策も遅れてしまい、被害を広めることになるのです。
 “メタ生物学”とは、生命現象の体系的な記述に向けた‘意味づけ’やその現象の原因を探り、解釈を打ち立てる学問です。上に述べた事例では、「運動すると気分が良い」といった読者のみなさんが主観的体験を通して知っていることに加えて、セロトニンの分泌量に関する客観的な知識、さらに別の生物種における客観的な観察例もとり入れて、生命現象の体系的な記述や解釈を提示しようと試みてみました。

現代科学の光と影
 なぜ、このようなメタ生物学が必用なのでしょうか?
現代科学は、先に指摘した“個別性”を無視して“普遍性”を探究してきました。その結果、「汚染環境による心身の異常が人それぞれ異なって現れる」という点に翻弄されてきました。個別性を探究する科学が、これから必要なのです。
 『生物から見た世界』の著者、生物学者のフォン・ユクスキュルが、次のことを明らかにしました。「多種多様な生物が存在するように、それぞれの生物が認識し生活できる環境も多種多様に存在する」というわけです。例えば、ハチは私たちが見ている可視光に加えて、紫外線まで知覚することができます。クサカゲロウは、ヒトには聴くことのできない超音波で鳴き交わし、交尾相手を探します。ヘビは動物から出ている赤外線、つまり熱線を感知します。そのため、暗闇でも獲物を見つけることができるのです。ある種の電気魚は、10Hz程の電磁波を使って獲物を探します。このように、多種多様な生物が生きている環境、認識できる環境は、それぞれ異なるのです。
 生物学者のブルース・リプトンが指摘するように、「生命のメカニズムが働くかどうかは、その生命が環境を認識できるかどうかによる」のです。かつて「安全な」睡眠薬として市販され、妊婦も服用したサリドマイドという薬をご存じでしょうか?この薬は、動物実験ではめだった影響がなかったのです。ところが、市場に出回るようになってはじめて、ヒト胎児への催奇性作用が発見されたのです。この悲惨な例は、「ヒトとヒト以外の生物が全く異なる環境を認識して生きている」ことを改めて私たちに示したばかりでなく、現代科学の光と影といった両義性を露わにしたと言えます。
 アル・ゴア主演の映画のタイトルとなった「不都合な真実」は、地球温暖化に限らずまだまだあります。しかし、新たな環境汚染問題の真相がクローズアップされ、解決の糸口が見えてくるには、この先、非常に長い時間がかかることでしょう。一体何が問題なのかさえ、本当のところは誰にもわからないのです。答えがあることを前提として受験問題に取り組んできた皆さんにとって、これは意識変革を必用とする大きな挑戦かもしれません。

メタ学習の意義
 科学の発展とともに、同じような過ちを繰り返すことは、そろそろ卒業したいものです。そのためには、私たちは学ばなければなりません。一体何を学ばなければならないのでしょうか?それは、学び方自体を学ぶことだと思います。ローマ大学の認知科学者アルベルト・オリヴェリオは、こうした“メタ学習”こそ、学ぶべき情報がますます増えている現代人に必要不可欠な学習なのだ、と述べています。
 確かに、時代の急速な変化とともに、私たちが直面する問題はますます複雑・多岐にわたり、その数も増えるばかりです。その一方で、問題があることすら気づかないという状況も見受けられます。しかし、よく眺めてみると同じ問題が姿をかえて現れているに過ぎません。そのことに気づくには、これまでの歴史を学ぶ必要があります。そのとき、“メタ学習”の意義が認められると思います。

京都大学国際フォーラムの開催
 “メタ生物学”の必要性や“メタ学習”の意義を強調してきたのは、複雑な生命現象を理解するためには、その現象を学ぶ方法も工夫が必要だからです。もちろん、このように物事を高次化して秩序立てて理解する「統合」のプロセスは、細分化されてきたあらゆる学問分野にも必要とされはじめています。私は、学問の客観的知識や自己の主観的体験をただ物語るのではなく、現代社会が抱えている多くの問題を、学術的・学際的にとらえて理解し、その成果を社会に還元するとともに、国際社会に向かっても発信していきたいと考えています。そこで、2011年10月15日(土)~16日(日)に、「新たな統合の世紀に向けて」と題した京都大学国際フォーラムを開催します。フレッシュな学生諸君にも、ぜひとも積極的に参加して欲しいと思っています。

村瀬 雅俊

基礎物理学研究所、准教授
京都大学統合複雑系科学研究国際ユニット
京都大学宇宙総合学研究ユニット
研究室:基礎物理学研究所 新館 5階 513号室
1957年 石川県金沢市生まれ
専門:メタ生物学、理論生物学、複雑系生命科学