第2回 初修外国語担当教員による座談会
皆さん、どうもありがとうございます。この座談会は、今日の昼にもやりました。その時は多賀先生がいらっしゃって、初修外国語の部会長という立場で発言されていました。
今回は、英語の部会長の武藤先生にきていただきましたので、英語の立場からも発言していただきます。それでは、最初に自己紹介を兼ねて、それぞれの言語に興味を持ったきっかけなどから話して頂けたらと思います。
フランス語を担当する西山と申します。私は高校生の時にフランス文学の翻訳を読み、大学ではフランス文学をフランス語で読んでみたいと思い、フランス語を始めました。ボードレールや19世紀の詩に関心を持って、それらをフランス語で読みたいと思って学部でフランス文学を専攻し、そのまま大学院でも19世紀フランス詩を勉強していました。大学院の時にフランスに留学して、そこで研究テーマを20世紀の詩に変えました。というのも19世紀の詩について新しい研究業績を出すのは容易ではないとわかったからです。
その頃、フランスである先生から同じ努力をするのならば、これまであまり研究されていな文学者などを選んだ方がよいという指導を受けました。そこで、これまであまり研究されてない詩人を選んで論文を書きました。
その後、日本に戻ってきて東京で非常勤講師としてフランス語を教えるようになりましたが,最初はどのように教えていいかわからなかったので、自分が習ったように教えていました。ところが、あまり習ったように教えることは実は一番よくないやり方だということに後で気がついたのです。というのも私が当時に習った先生は、さらに自分が習った時のように教えていたからなのです。ということは私が教えていたやり方というのはおそらく戦前のやり方とあまり変わらないやり方だったことになり、最新の知見が反映されていないのです。それではいけないと思い、フランス語教育学会などの主催するフランス語教育研修会に行き、どういうふうに教えたらいいのかということに関心を持ち、そこから次第にこの言語教育の専門へと進んでいったのです。
その後にフランスに再び留学し、専門家より専門的な研修を受けて、直接フランス語を教えるという教授法だけではなくて、教授法をどういうふうに教えていくのかという、言わば教員研修に関わる問題を学ぶことになりました。そして特にその中で私が問題意識を持ってたのが言語政策という課題です。これは一言でいうならば,国あるいは社会と言語がどういうふうな関係を持ってるかを追求する学問分野です。
これはフランスの場合ではフランス語普及ととりわけ深い関係があります。フランスは現在で世界に2000ヶ所近く、アンスティテュやアリアンス・フランセーズなど、フランス語を普及する機関を持ち、フランス語を世界に普及しております。京大の前にある関西日仏学館もその一つです。
そこで、このようなフランス語普及機関がどのように創られていったのか、フランスはフランス語を世界にどのように広めているのかという問題に関心を持ち、言語政策の課題を研究し始めて、今日に至っています。
中国語の江田です。中国の歴史について興味がございまして、それはやっぱり中学校の時代にそのころ刊行されていた岩波文庫『水滸伝』(翻訳は吉川幸次郎先生という大変高名な、我々にとっても大先輩に当たる先生)に目をつけて、文庫本一冊ずつ買って読むことを始めたのがきっかけかと思います。『水滸伝』とかそれから『三国志』の世界に憧れて、また1970年代の初期にはNHKがシルクロードについて特集番組のドキュメンタリーを作っておりまして、ああいう物の映像にも憧れたんです。あるいは井上靖の小説にも、シルクロードについての中国についての小説がありまして。ですから、私は、歴史の方に興味がありまして、その歴史を勉強するための手段として中国語を勉強してきたのです。
今でも学生たちにぜひ言いたいのは、語学というものは一つの文化に対するルートである、一つの文化、フランスを理解するためにフランス語、フランス語一つ勉強するということは、フランス文化を理解するのに絶対繋がっていくんだと思いますけれども、中国語についても同じように言えるなという感想を持っております。
三国志は、私もすごく面白かったですが、私の場合はそこから中国語には繋がっていかなかったです。
歴史が好きだったんですね。歴史のそれも日本の歴史でも中国の歴史でも好きだったんですけど、歴史物語読むのが好きだったんで、その歴史物語から歴史へ、歴史から、歴史を勉強するためには、中国語という形で勉強し始めました。
最初のころ僕たちはどの今の学生でもそうですけど中国語というのは高校の時に一度勉強するわけですね、漢文という形で。漢文は、必須の授業でセンター入試にも出題されます。ですから、学生達はみんな中国語読んでるんですけれども、あれはご承知の通り返り点を打って訓点打って読むわけですね、それが中国語実際に勉強してますと、訓点なんかもちろんありませんし、もうとんでもない発音を、「学んで時に之を習ふ、亦説ばしからずや」、というのを、シュエアルシーシーチー・・・」とかこういう言い方するんですよね。全くその音声として聞きなれない言葉をこんな言葉を『論語』の孔子先生が語っていたのだというのはちょっとしたカルチャーショックでした。
それは漢文の授業でその中国語の読みを先生が、高校の先生がされたという。
ほんの少しだけです。発音を学んだのは、大学以後です。ですから学生のみなさんにぜひ言いたいのは、皆さんは中国語の基本が出来てるんだということです。
今の中国語と我々日本語とは漢字が異なりますけれども、返り点を打つということは目的語が動詞の後に来るということですよね。そういうことが分かってるわけです、例えば漢文でも、現代の中国でも同じ使役の助動詞を使ったりするんですね。だから基礎が実は出来てる、だから実は親しみやすい言語なんだというのはぜひ言いたいところであります。
ただし別に中国語だけ宣伝するつもりはございませんけれども、他の色んな言語を沢山学んでもらうということを学生のみなさんに言いたいと思います。自分は中国語ですけれども、実はフランス語について全く学んでない。でフランスに行って、ルーブル美術館に行ってそのドガという文字が読めなかった、ドガの踊り子の絵を見てこれどっかで見たことあるなと思うだけでわからなかったんです。DEGASと書くんですね、ドガって。デガスって誰だろうと、僕ドイツ語は大学で勉強し、ロシア語は自習したんですけれども、フランス語については全く読まなかったものですから、あの時に実に残念な思いを致しました。
外国に行ってみて文化に触れる時にその窓口になるものは、今のうちに沢山学んでおくべきだというのは、自分の中国語だけではなくて、学生のみなさんたちに色んなところ、ちょっとかじるだけでもいいと思います。読めるようになると思うんですね。例えば固有名詞はきちんと読めるようになると思うんです。
スペイン語をかじれば、フランス語をかじれば、そういうふうにやってみれば、ちょっと学生さんたちに興味を持って貰いたいなと、学生さんたちに申し上げたいなと思います。
国際高等教育院の塚原です。 スペイン語を担当しています。私がスペイン語を勉強するようになった理由は、偶然です。大学で何か言語は勉強したいなと思っていましたが、英語以外ならなんでもよかった。高校までに英語はとりあえずやらなければならなかったし。じゃあなんでスペイン語になったのかというと、唯一合格した公立大学がスペイン語の専攻で、授業料が安かったからここにしようと。そこに落ちていたら東京でドイツ語を勉強していたはずです。
子どもの頃から、国外のいろいろな違う文化に対する漠然とした憧れはもっていましたけれども、スペイン語を専攻したのは全くの偶然です。今でこそ「勉強しなさい」と授業で散々学生に言いますが、私自身は大学に入って3年ぐらいはあまり授業に出ず、スペイン語の授業ですらもあまり出席せずにいました。
何してたんですか。
いや、まったく。よく聞かれるんですが、大学生協の活動だとか、後から頼まれて自治会のことやら、そんなことばっかりやっていました。
3年終わったところでさすがにそろそろ勉強しなきゃいけないというので、1年間大学を休んでスペインへ行きました。その時に覚えていた動詞の活用形というのは、直説法現在形の規則動詞だけでした。カタコトのレベルですらなかったのですが、まあ、行けばなんとかなるだろうと思い、1年オープンのチケットとパスポート、それからトラベラーズチェックだけ持って、行き先だけは決めて出かけたんです。
行き先はスペインのサラマンカでした。スペイン最古の大学がある街です。コロンブスも学んだという古い大学です。大学の街で学生が多いということだけは知っていたので、そこに行けばなんとかなるだろうと。事前に何の手続きしていなかったので、まず泊まるところを探し、次に住むところを探し、住むところが見つかったら今度は語学学校のコースを探してという調子です。それでも毎日寝ても覚めてもスペイン語ですから勉強にはなって、最初の4~5ヶ月ほどで初級文法を一通り終えました。
そんな風に生活していたんですが、とにかくびっくりしたのは、学生がものすごく勉強してるんですよ。たまたま知り合った法学部の学生なんか本当に驚くほど勉強している。それで自分も勉強しなきゃいけないんじゃないかって気になっちゃったんですよね。
帰国後には授業にも出るようになって、スペイン語以外のことも勉強するようになりました。帰ってきてから2年かけて学部を卒業したので、都合6年間在籍しました。行く前はスペインというのはスペイン語の世界だと思ってたんですが、行ってみたらカタルーニャ語やバスク語、ガリシア語といった違う言語も話されているということが実感できる機会がありました。日本ではあまり縁がない感覚なので「これ面白いな」と思って、そっちのことを勉強しようかなというふうに思って今に至ります。だから西山先生と同様、言語政策を私も専門としています。
私は東大ですが、理一の20いくつのうちのクラスのうち、3つがロシア語でした。
ロシア語で集まってきた人の中に物理とか数学とかやりたい人が結構多かったから、語学のクラスを通じて数学や物理の仲間が出来ましたね。